ソーシャルワークの歴史
ソーシャルワークが組織的に形成される以前は、社会的に弱い立場にある人に支援の手を差し伸べていたのは宗教的価値観を持つ人々であった。キリスト教の信者たちがその例である。
イギリスにおけるソーシャルワークの歴史
9世紀頃のイギリスでは封健社会が確立し、農民は重い負担を強いられていた。荘園制度の下では、農民は職業選択の自由も移転の自由もなく、生産物を納め、さらに教会にも献納を強いられていた。
エリザベス救貧法から新救貧法まで
そこで1601年にエリザベス救貧法が制定され、初めての国家による組織的な救済が行われた。貧民の労働力の有無によって、有能貧民、無能貧民、要保護児童の3つに分類した。制度の内容は、無能貧民を救済対象とし、有能貧民に強制労働を課し、要保護児童には、徒弟奉仕などにより労働を促した。また教区ごとに救貧税や貧民監督官を置くなどした。
この貧民に対する救済制度はその後も制定され続け、1722年には有能貧民を収容して授産を行うワークハウステスト法や、1782年の院外救済の考えを取り入れたギルバート法、1795年のパンの価格と家族の人数に連動した基本生活費を設定し、収入がそれを下回るようなら不足分を支給するスピーナムランド制度などが制定された。1834年に新救貧法が制定された。
慈善組織協会(COS)
当時のイギリスは、資本主義のため、人々を助けることは経済的に有益ではないと考えられていた。この新救貧法により、公的な救済が厳しく制限される中、ロンドンでは慈善組織教会(COS)が慈善活動を推奨していた。COSは貧困は個人の責任であると考え、救済に値する貧民のみを救済し、適切な機関などの紹介を行っていた。早くからCOSは慈善的救済援助に不可欠な要素として友愛訪問と呼ばれる個別の訪問活動を位置付けていた。
このような活動は必ずしも専門的知識・技術に基づくものではなかったが、後にアメリカに渡ることで、ケースワークへの発展へとつながっていった。
セツルメント運動
当時のイギリスで近代のソーシャルワークに大きな影響を与えた運動にセツルメント運動がある。これは知識や財産をもつものがスラム街に入り込み、社会的に弱い立場にある人たち、生活に困窮している人たちやその家族と生活を共にしながら、人間的接触を通じて地域の社会福祉の向上を図り、貧困から抜け出せるよう援助する事業のことである。セツルメント運動を最初に組織的に行った人物にバーネットがいる。1884年、世界で最初のセツルメント・ハウスのトインビーホール初代館長である。このセツルメントはアメリカにも渡り、コイツがニューヨークで最初のセツルメントである隣保館を開設した。アメリカでは後のグループワークの源流となったYMCA・YWCAとボーイスカウト・ガールスカウトと呼ばれる青少年サービス団体による活動が行われていた。これらは1844年に祈祷会や聖書研究会の活動を行うことを目的に設立され、やがて身体活動などのプログラムも取り込んでいったものである。
日本におけるセツルメント運動
当時の日本におけるセツルメント活動としては、1897年の片山潜による東京神田のキングスレー館が最も早いものとして知られている。トインビーからの影響を受けて作られたキングスレー館では、幼稚園、職工教育会、成年クラブ、大学普及講演会、渡米協会などが具体的な事業であったとされている。
アメリカにおけるソーシャルワークの歴史
慈善組協会
19世紀のアメリカでは慈善活動が盛んになり、1870年代になると、イギリスの影響を受けて、慈善活動の組織化が行われるようになった。1877年にはイギリス人のガーテインがバッファローにおいてアメリカで初の慈善組織協会を創設した。
このアメリカの活動から専門職としてのソーシャルワークとその担い手であるソーシャルワーカーが大きく発展していくことになる。この発展に大きく貢献した人物としてリッチモンドがいる。リッチモンドは慈善組織協会での活動の中で、長年にわたる当時のケース記録を分析し、1917年に「社会診断」を発刊した。これはケースワークを最初に体系化した著書であり、この中でリッチモンドは、ケースワーカーが共通に所有することのできる知識、方法を確立し、次世代のソーシャルワーカーを養成するための方法を伝えようとした。また、1922年には「ソーシャル・ケース・ワークとは何か」を執筆した。「社会診断」は社会学的な傾向の強いケースワーク論であるが、「ソーシャル・ケース・ワークとは何か」では、当時流行していた精神分析の影響を受け、ケースワークの目標はパーソナリティの発展に置かれることとなった。
ソーシャルワークの対立
ソーシャルワークの発展期である1940年代から50年代ではケースワークのあり方を心理学に基づき、診断主義学派と機能主義学派に分かれることとなった。
診断主義学派
診断主義学派のフロイトは、問題を抱えているクライエントには精神分析療法的なアプローチを通して理解し、分析し、変容させることができると考え、治療的なかかわりの方法とその強度はクライエントの抱えている問題の内容や度合いによって決定されると考えた。
診断主義学派
診断主義学派のハミルトンらは、クライエントは自らの自発的な意志で問題を解決できる能力をもつとの前提に立ち、援助者は援助機関の機能を提供し、クライエントはサービスの利用し、自己決定する過程がケースワークの機能であると考えた。
このように、機能主義学派・診断主義学派はそれぞれの立場からケースワークの専門性を高めることに寄与した。しかし、いずれの学派も環境に働きかけることや社会を変えていくというソーシャルワークの機能を十分にとらえていなかった。
ソーシャルワークの展開期
1950年代から60年代はソーシャルワークの展開期と呼ばれ、アメリカなどでは、人種差別や様々な社会問題がその解決策が求められるようになった。
問題解決アプローチ
このような問題を解決するにあたり、パールマンはクライエント自身が何らかの援助機関などに所属するワーカーとの関係の中で、問題解決に向けて歩む過程を形成し、支援していくという問題解決アプローチが重要であるとした。
ソーシャルワークの統合化や実践理論の発展
このパールマンの問題解決アプローチはその後のソーシャルワークの統合化や実践理論の発展をつくったといえる。
ソーシャルワークが専門職として成立していく過程において、その実践を全体的にとらえ、共通基盤を明確にしすることは不可避の課題であった。そこで、統合化という考え方が重要視されるようになった。
ソーシャルワークの統合化
統合化とは、ソーシャルワークの共通基盤、特にその主要な3つの方法であるケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションの共通基盤を明らかにし、一体化してとらえようとするものである。
このソーシャルワークの統合化には以下の3段階があったといわれている。
コンビネーションアプローチ
ケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションを単純に合体させ統合した。
マルチメソッドアプローチ
各方法論に共通する原理や技術を抽出することによって共通基盤を確立させようとした。
ジェネラリストアプローチ
専門職としてのソーシャルワークの共通基盤を確立したうえで、そこから全体を特質づける枠組みを再構築することをもって統合化とみなす統合形態。
このようにソーシャルワーク理論として統合化が進む一方で、多くのソーシャルワークのモデルやアプローチが生まれた。その1つの1980年代に入ってから現れたエコロジカル・ソーシャルワークはその後のソーシャルワーク理論、そしてジェネラリスト・ソーシャルワークも形成に大きな影響を与えていくこととなった。
グループワークの歴史
同時期にはセツルメント運動などの活動によりグループワークが発展していた。
ニューステッター
グループワークを定義したニューステッターは地域のグループをさらに組織化し、地域社会のニーズに応えようとする「インターグループワーク」の理論を確立した。
ロス
1955年にはロスによりインターグループワークのさらに積極的な方法として、コミュニティ・オーガニゼーションが発展した。