今回は福祉サービスとは何か、またどのような歴史的展開があったのか、ということについて述べたいと思う。
福祉サービスとは何か
福祉サービスとは、「個人の尊厳の保持を重視し、その人が能力に応じた自立生活ができるように支援すること」ということができる。人は生まれながらにして幸福な生活を望み、それを実現する権利を有している。そして病気がある人や障害のある人、高齢者や子供、生活困窮者などが、幸福な生活を実現できるように支援するために、各種の福祉サービスがある。したがって、福祉サービスを必要とする利用者が、その人らしく生きていくために、何が必要であるかを見極め、その人に応じたサービスを提供することが重要になる。
福祉サービスの提供体制
必要以上のサービスは、利用者の依存を生み出し、自立を妨げることにもなる。一方で、必要以下のサービスでは、利用者が望む暮らしを実現することは難しくなる。そのためサービスの利用が利用者にとってどのような結果をもたらすのかを十分に考慮する必要があると考えられている。現在の福祉サービスの提供のあり方は、従来のものとは大きく異なり、利用者のサービスの選択が自由となった。それを可能としているのが福祉サービスの提供元が国や地方公共団体、社会福祉法人に加え、医療法人、NPO法人、そして営利組織である株式会社などのさまざまな機関の参入である。また、少子高齢社会の進展や生活水準の向上により、福祉サービスの需要は増大し、サービス提供元はますます拡大しつつある。
福祉サービスの歴史的展開
措置制度から契約制度への転換
高度経済成長期にあった1960年代前半の日本は、福祉国家を目指して福祉関連法を次々と制定し、福祉六法の体制を整えた。1963年に制定された老人福祉法もそのひとつで、高齢者の心身の健康保持と生活の安定に必要な措置を講じることを定めたものである。その後、財政悪化で福祉国家の実現が難しくなった国が代わって打ち出したが、個人の自立・自助を基本とし、それが家族を支え、不足分を国が補完するという、三段構えの日本福祉社会であった。しかし現実は、核家族化と女性の社会進出がますます進む中で、自立・自助がかなわなくなった多くの高齢者が家族という受け皿をなくし、社会的入院を余儀なくされることとなり、医療費の国庫負担はさらに増大していった。病院のベッドが高齢者に占められ、救急患者を受け入れる余裕をなくしてしまったことも問題であった。福祉サービスが措置制度に則って提供されていたことも問題に拍車をかけていた。社会的入院を解消するためには、医療と福祉の連携が欠かせない。利用者・家族の心身の健康と、国の財政とを守り、新しいニーズに対応するため利用者主体の契約制度の必要性が生じた。そのため1997年から2000年にかけて行われた社会福祉基礎構造改革によって、障がい者福祉の方向性は大きく変化し、措置制度から契約制度へと転換していった。
つまり福祉サービスが必要な場合、利用者が自分自身でどのサービスを受けるかを選択し、サービス提供者との間で契約を締結し、その利用料金について行政が支援する制度へと変わったのである。これに伴って、社会福祉サービスの世界に規制緩和が行われ、民間の営利事業団体を含めた、多様な経営主体が社会福祉の世界に参入できるようになったのである。
措置制度とは
従来の日本の福祉政策は措置制度に基づいて行われていた。措置制度とは、行政庁が職権を利用して国民のサービスの必要性を判断し、どのようなサービスを行うか、どこでサービスを提供するのかなどを決定する仕組みである。この制度のもとでは、サービスの利用を希望する人から申請があったときは、市町村がサービス内容や施設などを選定・決定して、利用者の意思や要望が反映されることはなく、あくまで行政側に都合でサービスなどが選ばれていた。
全体的な福祉サービス供給のあり方の変化
現在の介護保険制度、障がい者総合支援法にみられる福祉・介護サービス提供の考え方は、サービスの普遍化、計画化、分権化、供給体制の多元化そして住民参加を志向した福祉サービス供給のあり方を目指すものであるといわれている。
そしてそれらは、1990年代からはじまった社会福祉基礎構造改革がもとになっている。
高齢分野の福祉サービス供給のあり方の変化
この改革の始まりは1989年の「高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)」であり、高齢者在宅介護の社会的な支えをどうしていくかに重点がおかれた。そして、これらの法制的基盤整備をはかるため、1990年の老人保健福祉等の一部を改正する法律による改正が行われ、日本における施設中心の福祉が、在宅中心へと移行する兆しとなった。
しかし、人々の考え方の変化や、新しい需要の増大により、措置制度だけでは対応できないことも明らかとなっていた。その後、バブル経済の崩壊により、福祉と財政負担のあり方を探るため、1994年に「高齢者福祉ビジョン懇談会」が設けられ、福祉重視型の社会保障制度への再構築の必要性が明示された。次いで、同年12月の高齢者介護・自立支援システム研究会による報告である「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」では、高齢者の自立支援の新たな基礎理念のもとでの関連制度を再編成し、21世紀に向けた新介護システムを目指すことが適当であるとされた。これらの利用者本位・自立支援などの新しい理念を受け、また、ゴールドプランによる各市町村の保健福祉計画による目標数値の全国集計を踏まえ「新・高齢者保健福祉推進十か年戦略(新ゴールドプラン)」が1994年に策定された。
なお、同時期には、子供を取り巻く環境の変化へと対応として「エンゼルプラン」およびこれと一体の数値目標を盛り込んだ「緊急保育対策等5か年事業」が策定された。また、障がい者分野でも、数値目標が入ったプランを早急に策定すべきとの声が高まり、1995年に「障がい者プラン~ノーマライゼーション7か年戦略~」が策定され、障がい者の生活全般にわたる施策が横断的、総合的に充実される基盤ができた。また、1997年と2000年の二度にわたり改正された児童福祉法では、母子生活支援施設および助産施設は従来の措置制度から、保育所方式の契約制度となった。
これらの福祉サービスをめぐる改正の到達点が、1997年に成立した介護保険法であり、また、社会福祉事業法の改正による社会福祉法の施行などの社会福祉基礎構造改革である。このような背景により、福祉サービスは個人の尊厳の保持・社会連帯の考え方に立って、地域の中で障がいの有無や年齢にかかわらず適切なサービスを受けられるようになっていった。
契約制度になって良くなったのか
では措置制度が契約制度に変わって良くなったかと言えば、全てにおいて優れているとは言えない。
利用者の自己決定権を尊重するということで、事業所との契約に問題があった場合や、事業者の選定に失敗した場合、その責任も利用者自身が負うことになる。また、利用者自身がサービスを利用しようと行動しなければ、適切なサービスを受けることができず、場合によっては社会のセーフティーネットから外れてしまうこともある。
そのため、人と人の繋がりを大切にしたセーフティーネットを基礎とし、必要に応じて福祉サービスを利用するという考えたが重要になると考える。